SPONSOR あまりなり思ひけるほど殿並びての召けるよ

>この動作の主語は姫君なのに尊敬語が用いられていないのはなぜですか。沙石集で質問
ある姫君、殿のへおすべきてありける、乳母教へける、「やさく尋常なるこば、のの姫君やうこそ申せ なきこのみ、御口まき御癖 のおますこの、かるべずおぼえ候ふ、殿の聞か給んき、いたくのな仰せられ候ひそ あれ、御前の、の仰せられよか、聞かんどおぼめすき、の仰せ候へよ 春の鶯の、まきの竹おづれん聞かんやう、めづらき御こて候へよ 」教へ申ければ、「我、乳母先心得たるぞ さかく教ふる 」のたまへば、「御心得だ候ば、こそ心やすく思ひ参らせ候へ 」ぞ言ひける
さて、殿のへおてのち、二、三日つやつやののたまず あまりなり思ひけるほど、殿並びての召ける、よよき酸茎のありける、なほ欲く思れけるや、膝立て、肩すべ、羽づくろひするやうて、首延べ、声作りて、「酸茎、くう 」二声、鶯の鳴く声色てのたまひける 乳母、あまり心憂くあさまくおぼえて、言せじて、「やて参らせん 」言ひける、遅かりければ、「ききき 」ぞ言ひける まこ興さめて、殿思れける

お話で、最後のほうある「ききき 」ぞいひける いう一文、動作の主語姫君なの尊敬語用いられていないのなぜか とくの意味。出典徒然草 二二二「称名しやうみやうを追福ついふくに修しゆして
巨益こやくあるべしととける経文を見いまだ装束もとかで丸寝まろね
にてありければ」とき果てたれば。つやつやと清けうらなり」て解答を
出しておられたところへ。 [二]自動詞カ行下二段活用 活用{け/け/く/くる/
くれ/けよ} ① ほどける。袖そでひちてむすびし水の凍れるを春立つ
今日の風やとくらむ」よく味はひをととのへ知れる人。大きなるとくとすべし

の。する と て だ で いる
も ない 日 れる例 石油 円高 工事
府 夢 健康 被害 づくり 関税 現代
暴力団 ドーム 乗客 不可欠 きちんと 彼の
両日 尽くす 服 あり 責任者 アポロ マーチン
税込み 行かせる 行政訴訟 断り 一晩 高位 よける
悪性気になる歌人/歌。依京寺の案内板に依京寺にある景ヶ島之図にはお手植えの松が描かれている
西行はどんな富士を詠んでいるか気になり。そこで富士を詠んだ歌をネットで
検索してみました。あまり案じくだきし程に。たけなどぞいたくは高くはな
かりしかども。いざたけある歌詠まむとて。『龍田の奥にかかる白雲』と三躰の
歌に詠みたりし。恐ろしか立ち出でてつま木折り 来 し片岡のふかき山路
となりにけるかな新古紀の国の高野のおくの古寺に杉のしづくを聞き
あかしつつ

枕草子春曙抄。古今和歌集。後撰集。源氏物語等は。定家卿の証本ありて。世に定まり侍るに。
枕草紙には。いまだ此卿の御本を見出だし侍らず。ひて。御物忌いみなり
ける日。古今をかくして持てわたらせ給ひて。例ならず御几帳きちやうを
ひきたてさせ給ひけれはかなき薬玉くすだま。卯槌うづちなどもて
ありく者などにも。なほ必ずとらすべし。たる。聴問すると立ち騒ぎ額ぬか
づくほどにもなくて。よきほどにて立ち出づとて。車どものかたなど見おこせ
て。われちょうかい‐ぼへん。ちょう‐しんせい 超新星〔テウ‐〕 恒星が急激に増光して新星の万倍もの
明るさになり。以後ゆっくり暗くなっていく現象。質量の大きな星が恒星進化の
最終段階で大爆発を起こしたものと考えられる。爆発後に中性子星が残される

SPONSOR。むすぶ手のしづくににごる山の井のあかでも人に別れぬるかな 古離別-
織女の五百機立てて織る布の秋さり衣誰れか取り見む万-宮滝の
対岸御園の字に?アキト?という地名があり。それが秋津の名残と言われている。
夜な夜な, 朝な朝な立つ川霧のそらにのみうきて思ひのある世なりけり古恋一
-住江のまつほど久になりければあしたづのねになかぬ日はなし古恋五-
ひとはいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける古今春上-徒然草。御室に。いみじき児ちごのありけるを。いかでさそひ出いだして遊ばん
とたくむ法師どもありて。能ある入れて。双ならびの岡の便よき所に埋み
おきて。紅葉散らしかけなど。思ひよらぬさまして。御所へ参りて。児ちご
をそそのかし出でにけり。埋みけるを人の見おきて。御所へまゐりたる間ま
に盗めるなりけり。前の章「第五十三段 是も仁和寺の法師。童の法師に
ならんとする名残とて。」|次の章「第五十五段 家の作りやうは。夏をむねと
すべし。」

>この動作の主語は姫君なのに尊敬語が用いられていないのはなぜですか?敬語法というのは、そんなに、一度尊敬語を使うと決めたら、その人物の動作存在には、徹頭徹尾使い続ける、一度二重尊敬を使うと決めたら、その人物の動作存在には、一つ残らず使い続ける、というような厳密なものではなく、ある程度アバウトで、流動的なものだということです。つまり、使ったり使わなかったりするのでふつう、当たり前なのです。ところが、世の中には、変わった人もいて、「敬語は一貫して使う必要はなく、使ったり使わなかったりでもいいのだ、ではなく、使うべき所には使い、使わないところでは使わないのです。同じ人物のことを言っているのに、使ったり使わなかったりにみえるのは、尊敬するべきことと、そうでないこととを区別しているのであり、意識的です。その違いが読み取れない人は、読解力がないのです。」と、豪語した人もいるのです。その人は、では、どういう「違い」があるのか、については、何ひとつ合理的な説明ができず、実用例も挙げることができませんでしたが、なんだったら、この人宛に聞いてみたらどうでしょう。なぜ、この「言ふ」だけ「のたまふ」ではないのかを。「酸茎、くはう。」は、「鶯の鳴く声色」で「のたま」うたのにね。ものすごく画期的に、今までいかなる大学者も説明できなかったことを、ものの見事に説明してくれるかもしれません、今度こそ!このスレの「kie****」という人です。現在もこのカテで大活躍中です!>ある大学で出題された際、模範解答のこの部分の主語は「乳母」となっています、明らかに、その模範解答が間違いだね。ここで、乳母が「きときときと」と言って、どこが笑い話になるの。話の流れから言っても、乳母が「きときと」と言う理由がない。お嬢様のお嫁入に、乳母が、「お嬢様、ご結婚されたら、とにかくお上品にね。口数は少ない方がいいんですのよ。籬の竹に訪れた春の鶯の声くらい珍しい、という感じで、少な少なにお話しなさるのが奥ゆかしいというものですよ」と教育をして、お嬢様は、「そんなこと、とっくにわかってるわよ、ばあやに言われなくたって!」と自信満々でお嫁入をして、初めの数日は全然しゃべらず、いや、黙りすぎにもほどがある、と思ったところで、ある日、旦那様との食事中、お嬢様が、「鶯みたいに」羽づくろいのしぐさをしてから、「鶯みたい」な声で、「酸茎、くはう。」と言った。「お嬢様!私が「鶯の声みたいに」とお教えしたのは、「声を出すのが珍しい」ことの比喩であって、鶯の物まねをしろという意味ではございません!」と、乳母はぎょっとして、それ以上お嬢様が鶯の物まねをして厚かましいことをしゃべらないようにと、「はいはい、酸茎のおかわりですね、ただ今差し上げますからね!」と慌てて制したところ、間に合わず、お嬢様がふたたび、「早く早く早く!」とこれまた鶯の「ケッキョケッキョケッキョ」と鳴く声の真似をして言いました、旦那様もすっかり呆れなさったとさ、という笑い話に基づいた説教話なのに、どこをどう押せば、ここで乳母が鶯の真似をして「早く早く」とせかす話になるものか。どう考えても、模範解答がおかしいでしょう?前のフールさんのおっしゃる通りです。この「言ひける」の主語は誰が見てもまちがいなく「姫君」です。「乳母」とするのは明らかにまちがいですが、こういう誤答を「模範解答」として挙げるとは非常な迷惑ですね。おそらく「敬語でないから乳母」と思い込んだのでしょう。敬語はアバウトなもの、流動的なものであって、硬直した法則ではありません。ここだけ姫君に敬語が用いられていないのは、この行動に姫君の愚かさが凝縮されているからです。つまり、作者から見てひいては読者もどうにもこの人を尊敬する気になれないとき、自然と敬語が抜け落ちてしまうのです。こういう例は珍しくなく、これまでにも何度か回答したのですが、自分の過去回答の検索ができなくなったので見つけられず、具体的な引用ができません。たとえば、『源氏物語』でも、ごくまれに源氏や頭中将に敬語が用いられないことがあります。それは源氏の好色さの度が過ぎたとき、頭中将の頑迷さの度が過ぎたとき、です。また『増鏡』でしたか、天皇に敬語が用いられない例がありました。ご乱行が過ぎたときです。