仏像の起源 仏陀なったなったの釈迦ただひりで数々の尊い如

〇地球上の仏は釈迦如来だけです。釈迦大日如来阿弥陀如来ぞれような関係なのか 仏(陀)なったなったの釈迦ただひりで、数々の尊い如来や菩薩の方々仏陀なるための修行中いう認識でた ころ仏教宗派の中大日如来や阿弥陀如来最尊いのて信仰ているのよね そういった如来釈迦の関係ようなのなのでょうか 、仏教の経典直接当たるの大変難いので、各宗派の教え学べる初心者向けの入門書ありら これを見ればバッチリ。仏像の種類と見分け方 如来 菩薩 明王 天部 その他 仏像の手の形にも
意味がある?今から約百年前。インドで生まれた釈迦はさまざまな修行を
経て初めて悟りを開きます。しかしその後。釈迦の前に存在したブッダや過去
。現在。未来それぞれで民衆を救済する仏など。ほかにも頭髪は「螺髪らほ
つ」という丸く巻かれて粒状になった髪の毛で表現されています。如来に
なるための悟りを開く前の釈迦の姿が仏像のモデルとされています。

知っているようで知らない「仏」の意味。仏教の生まれた約年前の古代インドでは。ブッダは。目覚めた人という意味
。つまり悟りを開いたということで。すぐれた修行者やまた。お釈迦さん。
お釈迦様。釈迦牟尼。釈迦牟尼仏や釈尊など丁寧な呼び方もされるようになり
ました。大日如来と言った方が聞いたことがある人が多いかもしれませんが。
毘盧遮那仏は大日如来の事です。受用身。等流身という呼び方もありますが。
報いを受けて仏になった仏さんというのがわかりやすいでしょうか。仏像の起源。仏像の起源 —仏像はなぜパンチパーマなの—釈尊は実在していたので。釈迦如来
像は人間の姿をしているのは分かります歳で出家して。修行者となり。
年間苦行を実行したが。その無意味なことを知り。中インドのブッダガヤの
菩提樹のもブッダガヤ大塔の仏足石大乗仏教の特徴上座部仏教では。釈迦
ひとりを仏陀として拝するのに対して。大乗仏教では。十方または天部 古代
インドの宗教の神々が仏教に取り入れられ。仏法の護法神となった者の総称。

お釈迦様の誕生。で。小憩をとられた。そのとき。彼女の右脇下を破って。人の男児が出生しま
した。摩耶夫人と。その夫であり釈迦国の王である浄飯王とのあいだの子。シ
ただ我ひとり尊い」とは。のちに太子が「仏陀」となって。この世の人々を救済
産道を経ずに産まれたということは。凡人とは違った偉大なる聖人を意味し。
ただ言うまでもありませんが。釈迦如来は実在の人物で。この世で悟りを得
にみたてて花で飾った「花御堂」に。天と地を指さした釈迦の誕生仏を安置しお釈迦さま物語釈迦如来と阿弥陀如来の関係《仏教?浄土真宗》。お釈迦さま釈尊。釈迦如来。釈迦牟尼仏も。さとりを開かれるまでは人生に
苦悩を抱く一人の人間でした。そして。ついにさとり覚り。悟りを開き。
仏さま仏陀。覚者。真実に目覚めた人。真理を悟った人となられました
成道。言い換えれば。これが生じたので。それが生じることになったのです
。その結果。法蔵菩薩は衆生救済の願いを成就されて阿弥陀如来阿弥陀さま
となられ。安らかで浄らかなお浄土極楽いずれにしても。尊い「名号」
です。

仏像の基礎知識。今から約百年前,釈迦はさまざまな修行ののち,悟りを開いてブッダ
になりました。ですから「仏像」とは,「ほとけの像」のことで,
狭い意味では悟りを開いた釈迦のことを指します。 菩薩とは?が作られていた
のですが,すぐに釈迦のほかにもたくさんのほとけや菩薩がいると考えられる
ようになり,さまざまな仏像?菩薩像が作られるようになったのです。また
特に如来像という言葉を使うのは,一般的な意味での仏像レヴェル3と区別する
ためです。

〇地球上の仏は釈迦如来だけです。「釈迦の前に仏無し、釈迦の後に仏無し」と昔から言われている。「私は如来になった!」と教祖的存在の人はいますが、無視します。〇大日如来…地球以外にまします仏。大日経などに説かれてある。釈迦如来と同じ立場の仏。下記に詳しく書かれています。では釈迦如来、大日如来、薬師如来、毘盧遮那如来などたくさんの仏様は大宇宙にどれくらいましますのか?について、釈尊は『阿弥陀経』に、「東?南?西?北?上?下?四維」の世界にそれぞれガンジス河の砂の数ほどの仏在まします。と仰って、それら十方諸仏方は何をなさっているのか?それは阿弥陀如来の本願一つを叫び続けていられると説かれているのが阿弥陀経です。今日の惑星科学では※地球のような惑星は太陽系には一個しかありませんが、銀河系宇宙には太陽自ら光と熱を生み出す星が2千億~3千億あると言われている。いくら少なめに見ても地球のような高等動物の住む惑星は1億個以上はあるだろうと惑星科学者は言っています。大宇宙には銀河系星団は無限に存在すると言われている。地球上に釈迦如来が現れたようにそれらの惑星に一仏ずつ仏が現れ阿弥陀如来の本願を説かれているのです。それが『阿弥陀経』内容です。阿弥陀如来は十方諸仏の師匠であり、諸仏を仏にした根本の仏であると釈尊は説かれています。根拠「三世十方諸仏 念弥陀三昧 成等正覚」般舟経意訳全ての仏様は阿弥陀仏のお力によって仏になれたのだ。だからすべての仏様は阿弥陀仏の本願を褒めたたえるのです。根拠釈尊は仏教の結経である『大無量寿経』に釈迦はじめ三世の諸仏の師匠は阿弥陀仏であり、三世の諸仏が見捨てた十方衆生を、阿弥陀仏一仏が「我を信じよ、必ずこの世も未来も本当の幸福にしてみせる。もしできなければ私は命を捨てる」と約束されているのが阿弥陀仏の本願であり、釈尊や大日如来、薬師如来もこの弥陀の本願一つを叫ばれているのです。いくつか証拠を挙げてみましょう。『大無量寿経』には、「無量寿仏阿弥陀仏の威神光明、最尊第一にして、諸仏の光明及ぶこと能わざるところなり。乃至、無量寿仏を、無量光仏?無辺光仏?無碍光仏?無対光仏?焰王光仏?清浄光仏?歓喜光仏?智慧光仏?不断光仏?難思光仏?無称光仏?超日月光仏と号す。それ衆生ありて、この光に遇えば、三垢消滅し無量寿仏の光明顕赫にして、十方諸仏の国土を照耀したまうに、聞こえざることなし。但我が釈迦自身今、その光明を称するのみにあらず。一切の諸仏?声聞?縁覚?もろもろの菩薩衆もことごとく共に歎誉したまうこと、またまたかくのごとしまた、『大無量寿経』に、「仏釈迦自身、弥勒に語りたまわく『それ彼の仏の名号南無阿弥陀仏を聞くことを得て、歓喜踊躍し、乃至一念すること有らん。当に知るべしこの人は大利この世も未来も本当の幸福になれるを得と為す、すなわちこれ無上の功徳南無阿弥陀仏と一体になれるを具足するなり」。意訳弥勒よ、阿弥陀如来の名号を聞く一念で、無上の功徳と一体になれるのだよ。この世も未来も、弥陀の浄土で本当の幸福になれるのだ。また『楞伽経』には「十方の諸々の刹土における衆生と菩薩の中のあらゆる法報身と化身と及び変化へんげ身とは、みな無量寿の極楽界中より出ず」意訳すべての仏や菩薩は、阿弥陀如来の浄土より現れ出られたとあります。「十方のもろもろの刹土に於ける衆生と菩薩の中のあらゆる法身、法報身と化身と及び変化身」とは4通りに現れた大宇宙のあらゆる仏ということです。「無量寿の極楽界」とは、阿弥陀仏の極楽浄土ですから 大日如来も含むあらゆる仏が阿弥陀仏の極楽浄土から出て来られたと教えられていますので、大宇宙の仏方の根本の仏が阿弥陀如来です。参考資料こんにちは。「tyran」です。2500年前に「お悟り」を開かれて「仏陀:目覚めたる者」になられたお釈迦様は現在どこにおられるのかと問えば、「月」におられます!「月」は落ちて来ません。ゆえに「生れ落ちない世界:涅槃」は「月」にあるのです!第9次元「神界」第8次元「仏界:如来世界」月魂第7次元「菩薩界」第6次元「天上界」第5次元「霊界」「雲の上」「三途の川」……………………………「雲の下」第4次元「幽界」第3次元「現世界:この世:命と物質の世界」「月」は、第8次元「仏界:如来世界」にあたります。また、「人体」の霊中枢チャクラで言えば、アジナチャクラ「脳内:脳下垂体」の場所に「魂:真我」は治まっており、覚醒された「仏陀」の意識は、この「脳下垂体」の場所に置かれ、つまり、「ご入滅」された後、「魂」は、遺体から離れて第8次元「仏界」のある「月」に向かわれることになります。「月」に行かれれば、そこで「宮殿」が与えられ、数千年数万年「神様の勉強」をされて、やがて第9次元「神界」に進まれ「神様」になられます!「人」→「仏」→「神」人間が「輪廻転生」を繰り返して「転生」されるのは、この世に生まれて「悟り」を開くためです!今世で、悟れなければ「やり直し」、また「来世」に生れ落ちて、「悟りの真理」を会得するための人生となり、仮に「前世」悟られておられれば、「今世」この世に生まれていないはずなのです。「仏教」とは「仏陀に成るための教え」で、究極、その目的は悟りを開いて「輪廻転生」から解脱人間の卒業することです!「人」→「仏」まず、人から仏:仏陀になるまでの過程が大変です!これは「輪廻転生」の連続です。「輪廻?輪廻?輪廻?輪廻?輪廻?輪廻…」、悟るまで終わらない!「永遠の真理」を会得出来なければ、「魂:真我」が納得されないので、また、生れ落ちて「人生」の中で悟りを開こうとします。意識?無意識に関わらず、「肉身」を持った本人は気付いておりませんが、「魂」は、悟りの可能性のある場所まで「運命」をコントロールして行きます!例えば、「お釈迦様」の異常なまでの「悟りへの渇望」を考えても、本人というよりも「魂」が悟りを渇望されて、本人を出家に導いておられ、29歳で「妻子」を宮殿に遺されてご出家され、その後、飲まず食わずの苦行を6年間されて、体がガリガリの骨と皮になるほど痩せて、死にかけるところで35歳の時に「苦行で悟りは開けない!」とお気付きになられ、「中道」を悟られます。その後「瞑想修行」に変えられて、一年後の36歳の時に「大悟」を得られました!ご自身が「悟りを開くために生まれて来たこと」をすでにご存じで、「大願成就」されて、「三昧の境地」を会得され、その後「ご入滅:自殺」を考えられましたが、「梵天:ブラフマン」と「帝釈天」の二柱の神様が現れて、ご入滅をお止めになられたと言われます。「せっかく悟られたのに、ご入滅されるのはもったいない。どうか、苦しんでいる多くの人間達を悟りの真理で救ってやって欲しい。」と、懇願されたわけです。さて、お釈迦様が「お悟り」を開かれる以前から「大日如来:毘盧遮那仏:ベイロシャナゥ」という如来仏は、広く知られており、そのルーツは、古代「ゾロアスター教」にあります!「ゾロアスター教」は、世界最古の宗教と言われ、開祖のゾロアスター氏は「予言者」でした。「人類の未来」に現れる善神「アフラ?マズダー:知恵主」が、崇拝の最高神であり、人類滅亡の危機が迫る時「悪魔」を倒して人類を救うと予言されており、この「未来の神様」は「核戦争」を食い止めて人類を救われます!時代が進むにつれて呼び名が変わります。「アフラ」が「アスラ:阿修羅」、「アスラ」が「ミスラ」、「ミスラ」が「ミトラ:ミトラス神」、ミトラス神は古代「ローマ帝国」で「悪魔を倒すほど強い神」として崇拝されておりました。この「ミトラス神」は、東に伝わり「弥勒菩薩」になりました!「弥勒菩薩」のご真言「オン マイトレーヤー ソワカ」の「マイトレーヤー」は「ミトラ:ミトラス」から来ております。この「弥勒菩薩:アフラ?マズダー」が、時代の流れの中で「ベイロシャナゥ:大日如来」のモデルになったという説があるのです!「弥勒菩薩」=「大日如来」、ある意味で正解です。さらに、日本における仏教伝来は、公伝で西暦538年であり日本書記では552年、百済の聖明王の使いで訪れた使者が、欽明天皇に釈迦如来像や経文?仏具などを献上したことに由来されますが、実は、それよりも早く「北九州」には仏教が伝来され「弥勒信仰」が広がっており、「大和朝廷」が後に奈良地方に出来て、西暦712年、720年と「古事記」「日本書紀」を編纂するときに、当時、信仰されてた「弥勒菩薩」をモデルに「天照大神様」を創設したと言われます。「弥勒菩薩」=「天照大神」、ある意味正解です。「天照:アマテラス」という神様はおられないわけで、これは「兜率天の内院」にて、「救済策」を考えている思惟している姿、「半跏思惟菩薩像」として知られておりますが、これが「天岩戸開き」に繋がるわけです!弥勒菩薩は、西暦2006年に起こされるはずだった「アルマゲドン:核戦争」の運命をすでに食い止めておられ、当時の世界人口:56億7000万人を救済されておられます。「悟り」を開かれて、これから世に出て来られます!「兜率天の内院」から出て来られる。天岩戸から出て来られる「新型コロナ」に当て字を点けて「567」と読んだりしますが、この「禍」禊みそぎと無関係ではありません!人類が意識を変えられれば、早期のコロナの終息は望めます。「弥勒菩薩」=「ミロクメシア:最後の救世主」。以上、長文となりました。歴史の順番では、「大日如来:アフラ?マズダー」「釈迦如来:お釈迦様」、「阿弥陀如来:阿弥陀様」となりますが、阿弥信仰の教義は紀元100年前後に成立されたと言われ、阿弥陀様はお釈迦様と同じように「王族」を捨てられて、「世自在王仏」の元で法蔵菩薩になられ、48の誓願を立てられて、長い年月をかけてそれが成就され「無量寿仏:阿弥陀如来様」になられたと言われます。何か参考になれば幸いです。ここまで読んで頂いて誠にありがとうございました。「ブッダ」は悟りを開いた人を指す一般名詞です。原始仏典よりも古いジャイナ教の聖典「聖仙のことば」によれば、仏教僧団の指導者だったサーリプッタを初め、バラモン教の哲人ウッダーラカやヤージニャヴァルキヤ、アージーヴィカ教の聖者マッカリ?ゴーサーラ、マハーヴィーラを含むジャイナ教の代表的な聖者たちなど、当時は広く尊敬される有名な聖者たちのことを宗教の区別なく「ブッダ」と呼んでいたそうです。そして時代が経つにつれて仏教の開祖釈迦牟尼をゴータマ?ブッダと呼ぶ習慣だけが残り他の宗教では「ブッダ」の語は使われなくなったので、ブッダは事実上仏教の専門用語となりました。仏教に於けるブッダは仏教の最高レベルの悟りに到達した人と言う設定です。仏教におけるブッダの設定には大別すると2種類有り、凡夫を導くための指導者活動に精を出しているブッダを菩薩と呼び、指導者活動に飽きてこの世からオサラバしたブッダを如来と呼びます。歴史上の人物としてお馴染みの釈迦如来は2500年前に出現したブッダとなります。阿弥陀如来はさらに遥かな過去に如来化したブッダと言う設定で、ランクは釈迦と同格です。現在はこの世にはおらず、極楽浄土と呼ばれる異世界に転生して悠々自適な如来の余生を満喫しておられるようです。ただし現在でも「ナムアミダブツ」と阿弥陀如来の名を唱えた人間は漏れなく極楽浄土に転生させると言う、計り知れないほど凄まじい効果範囲の超能力を発動継続中なのでやっていること自体は釈迦如来を遥かに超えていると言えましょう。大日如来はその2人よりもさらにグレイトな如来と言う設定です。「大日如来と比べれば釈迦や阿弥陀ですら雑魚ランクに過ぎなかった」レベルで、インフレにも程がありますが主に密教では大真面目にこの如来が祀り上げられています。後発だった密教が他の仏教を押しのけて権威を獲得するためには設定上は釈迦すら遥かに凌駕するバックボーンが必要だったのだろうと推察されます。大乗仏教には、三身仏思想があります。法身仏…真理を体とする仏=大日如来報身仏…修行に報いて覚った仏=阿弥陀如来応身仏…衆生に応じて現れる仏=釈迦如来初期仏教では、仏と言えば釈尊のことでしたが、大乗仏教に入ってからは、法身仏?応身仏という思想が起こりました。釈尊は、真理を観察し、真理に目覚めた結果、仏如来に成りましたから、仏の本体は真理そのものであると考えられました。そして、釈尊は、衆生を導くために示現した仏だと説かれたのです。この二身仏思想の後、応身仏から法身仏に至る途中の仏として、報身仏思想が起こり、三身仏思想となりました。ブッダは歴史上のゴータマ?シッダールタを指すのが現在は普通。菩薩は高い境地だけど未だ修行中。如来は解脱者。挙げられた仏は三身仏と呼ばれるのものです。如来と仏は同じものです。三身仏については、ウィキペディアで説明を読まれると良いでしょう。おぼろげに存在したらしいのはお釈迦さん。インドの、ごーたましっだるーた、さん、とか。でも聞いた話ですけど。呼び名変われど形は同じでしょう。後のお二方はは概念です。幻です。溺れても何もないとすがれない、わら一本あればすがります、その化身です。すべて宗教上の偶像です。地上で生きている我々のうちのいわゆる仏教徒だけの概念です。でも大日如来は太陽だ、とすると、素晴らしい存在ですね。阿弥陀様は地球だ、とすればこれまたありがたい。となるとイエス様もマリア様もかの地の人々の頭の中に存する概念でありましょう。宗派の話はネットでも載ってます。全宗派、カルト以外の教団のあれこてまで目を通すと上記の私的宗教論のコアにたどり着けるでしょうか。>釈迦と大日如来と阿弥陀如来はそれぞれどのような関係なのですか? 無関係です。>私は仏陀となったとなったのは釈迦ただひとりで、数々の尊い如来や菩薩の方々は仏陀となるための修行中という認識でした。いいえ、仏仏陀とは覚醒した人、つまり人間が到達すべき完全体になった人を言います。そしてその先人である釈迦に尊敬の念を込めて釈迦のみを仏陀と呼んでいるのです。その後に覚醒した人々は如来と言います。釈迦牟尼仏も釈迦如来も大まかには同じもの仏陀を呼びます。しかしここで取りあえず亡くなった魂が行く場所を六道と考える思想があります。つまり「天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道」ですね。この天道が仏の世界となります。人はみな我欲が無くなって死ぬわけじゃないので、仏の世界=仏陀如来ではなく、そこでの修業があると考えるわけです。そこでの修業の地位を「菩薩」と呼びます。菩薩でもまだわずかながらの欲があり、それを離れるべく修行をするわけです。仏教と言っても解釈が人それぞれなので、あまり厳密に解釈しようとするとわけわからなくなります。なのでざっくりと考えた方がイイ。例えば如来と言えどわずかながらの欲があります。例えば阿弥陀如来は西方浄土の守護物ですが、彼は「衆生すべてを救済するまでは仏にはならない」と誓いを立てています。こんな誓いを立てるということ自体まだ我欲があるという事になりますよね。つまり完全体ではないので仏ではない。だけど「阿弥陀仏」と仏になっている矛盾ですね。でもあまり言葉いじりしたって意味がありません。そんな誓いを立てて仏になった先輩というだけの話です。そんな先輩にあこがれる人が浄土系の信仰に加わるのです。今売っているかどうかは分かりませんけど、私は学研の赤い本のシリーズを取りあえずネットで探して買い求めましたね。様々な人が書いていて、でも結局誰かの解釈でしかないので、とりあえず図書館でもネットでも探して読んでみるのがイイと思います。坊さんに聞いてもつまるところ皆解釈に違いがあるんですから、どれが正しいかではなく自分の解釈で十分なんですよ。それが自分が悟りに至る道であればすべて正しいと考えるほうがイイでしょうね。